2011-08-29

馬上少年過ぐ, 司馬遼太郎

新潮文庫
2011-08-29 読了 (2回目?)

表題作を含む短編集。著名な人物やそうでない人物がモデルとして取り上げられている。

特に印象に残っているのが、
  • 河井継之助 (「英雄児」)
  • 伊達政宗 (「馬上少年過ぐ」)
  • 山田文庵 (作中は山田重庵;「重庵の転々」)
  • 脇坂安治 (「貂の皮」)
である。

河井継之助は、長編の「峠」でも主人公となっている(らしい)のでそのうち読みたいが、本作でも十分に存在感を示している。以前、長岡に行った時 、河井継之助の生家跡に記念館があり、時間がなくて入ることができなかったが、そのそばで当時の雰囲気を想像した。地元では慕われているだろうか?

伊達政宗は超有名人だが、父親や弟を自らの手で殺したといわれるなど、戦国時代だけあり、一筋縄ではいかない。

その分家の宇和島藩のさらに支藩の伊予吉田藩が舞台の「重庵の転々」。小説なのでどこまで本当かわからないが、素性も定かでない者が主にとりいり、立身していく様は、「国盗り物語」の斉藤道三のようだ。

播州竜野で脇坂氏が幕末まで続いたというのはこの話で知ったことだが、脇坂安治は有名な「賤ヶ岳の7本槍」の1人だそうだ。秀吉系の大名は福島正則や加藤清正など改易されているが、7本槍のなかではただ一人、脇坂家だけが大名で残ったそうだ。

それぞれ趣があり、楽しい。

2011-08-27

ヨッパ谷への降下 自選ファンタジー傑作集, 筒井康隆

新潮文庫
2011-08-27 読了 (2回目?)

本当は「エロチック街道」という短編集が欲しいのだが、現在廃盤で、出版社の都合か、困ったことに傑作集とか銘打って、短編を別の組み合わせで出版してしまっている。それしか手に入らないのでしかたなく買うわけだが。

これはポピュラー音楽に例えると、オリジナルアルバムは廃盤で手に入らないが、複数のアルバムから集めてきたベスト盤だけ生きている、という感じか。私は音楽ではオリジナル至上主義者(原理主義?)で、iPodで音楽を聴くときも必ずアルバム単位でしか聴かない。シャッフル機能など使ったことがない。なのでめったなことではベスト盤は買わない。たいていの場合、ベスト盤というのはアーティストが作りたくて作るものではなく、レコード会社が元手をかけずに甘い汁をすするために勝手に企画するもの、という認識だ。だから、ときたま、レコード会社が勝手に発売した商品を買わないよう、アーティスト側が呼び掛ける、といった騒動が起こる。

音楽業界のことはこの本には関係ないが、どの作品も、世界観がしっかりと作られているというか、虚構なのに嘘っぽさが感じられないというか、異なる世界を旅する感覚、といえば言い過ぎかもしれないが、そんな気分を味わえる気がする。

「九死虫」という、8回までは死んでも蘇る虫の話。死を複数回経験できるからこそ生と死への洞察が深い。死を1度しか経験しないのは幸せかもしれない。

2011-08-23

なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか 検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ, 吉田典史 (週刊ダイヤモンド)

なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか
検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ


2011年8月23日 週刊ダイヤモンドオンラインの記事。杏林大学准教授・高木徹也氏(法医学)の話。

「海や川、プールなどで亡くなる溺死とは、遺体の状況が違った。これら狭義の意味での溺死は、気道に大量の水が一気に入り込み、呼吸ができなくなり、死亡する。今回の場合は、9割以上が津波による溺死ではあるが、それに複合的な要因が重なり、亡くなったと診断できるものだった」

その複合的な要因とは、主に次の4つのものだという。これらの要因のうち、いずれかがほぼ全ての遺体に見られた。高木氏は検死の際、遺体がこれらのうちどれに該当するかを診ていく。

1つは、胸部圧迫による死亡。圧迫を与えたものとして考えられ得るのは、たとえば船や車、家、がれき、さらに押し寄せる波の水圧など。これらが胸や腹部に時速数十キロのスピードで当たり、呼吸ができなくなった可能性がある。

2つめは、一気に大量の水を飲み込むことでの窒息。3つめは、いわゆる凍死。当日、津波に襲われた後、冷たい波の中で木などにつかまり救援を待ったが、寒さで体温が下がり、息を引き取った例がこれに該当する。

4つめは外圧によるもの、たとえばがれきが頭に当たり、脳挫傷などになり死亡したことが考えられる。

遺体にまつわる話は、タブー視されている傾向がある。震災から数ヵ月が経つにもかかわらず、津波に巻き込まれた遺体はどうなっているのかなど、踏み込んだ記事はほとんどない。

実際に人の命を守るためにはこのような知見が非常に重要だ。
被害を知ることで対策が立てられる。亡くなられた方々の死因をきちんと調べることで、防災に役立つ知見が得られる。

2011-08-21

新選組遺聞, 子母澤寛

中公文庫
2011-08-21 読了 (2回目?)

新選組始末記につづく、子母澤寛の小説というか記録集。というのも、なるべく元記録を忠実に記録する意図からか、書簡などは純粋な漢文や返り点つき漢文、かな混じり文などのままの資料がたくさん掲載されている。また伊東甲子太郎の歌集なども掲載されている。ただそのような文を読み慣れない私のようなものはやや辛い。

逆にこの巻で特徴的なのは、全体の1/3近くを占める、八木為三郎氏の聞きとり録。氏は新選組となる浪士達に最初の宿所を提供した八木家の子供だった方。章としては「壬生屋敷」「池田屋斬込前後」の2つ。芹沢鴨の暗殺の時には、氏が寝ていた部屋に芹沢が倒れこんで最後をむかえた、そして氏も軽い切り傷を負った、とか凄まじい話が多い。一方で、厳粛な隊規の印象とは異なり、隊士達と日常的に親しく接していたなど、非常に興味深い。

それにしても新選組が活躍した期間は実質5年間くらいで、この間に「幕末」が濃縮されているが、機が熟せば5年間で一気に政体がひっくり返ってしまうということも驚きだ。

現代のどこかの政党は「平成の維新」などと格好をつけていたが、この交通・情報伝達手段の発達した現代において、一向に、何かが改善されたという感じがしないのも、すごい話だ。そろそろ「仮免」は卒業しただろうか。

2011-08-19

グロテスク, 桐野夏生

文春文庫 (上)(下)
2011-08-15 読了

主人公(?)の語りで物語が進行していく。どの登場人物も異常というかそうとう変りものなので、姉の話がまともで、語りのせいもあり、客観的に事実を述べているように感じる。寒々とした進行は迫力すら感じる。

それでも「グロテスク」というほかない思考回路。

推理小説ではないので、主人公が誰に語っているとか、事実はどうだとかのなぞ解きはない。また、最後のほうはハチャメチャなストーリ展開で、一気に真実味がなくなるのが???それがこの作者の持ち味かもしれない。

2011-08-14

幕末, 司馬遼太郎

文春文庫
2011-08-13 読了 (2回目?)

幕末の12の暗殺事件をとりあげた、ということだが、「逃げの小五郎」「彰義隊胸算用」などは明治後も生き残った桂小五郎(木戸孝允)や渋沢成一郎(渋沢栄一の従兄)の話で、純粋に暗殺事件ではない。また、3編に昭和14年まで生きた田中顕助が出ている。というわけでカラーはそれぞれの話で異なる。

やはり「桜田門外の変」は重厚で、読後感も他のものとは違う。作者自身、本編の中で
ただ、暗殺という行為は、史上前進的な結果を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。
と記している。

2011-08-07

侍はこわい, 司馬遼太郎

光文社文庫
2011-08-07 読了 (2回目?)

戦国から幕末にかけての短編集。本のタイトルはこの作品の7編目の題名からとられているようだが、必ずしもすべての作品が侍に関係しているわけではない。しかしどの作品も、最後にきらりとしたオチがついていて、楽しい。とくに「忍者四貫目の死」は推理小説的でもある。

この本に限らないが、時代小説を読んでいると、本当かなと思うことをついついインターネットで調べたくなる。たいていのものは wikipedia などに解説があり、今度はそちらを読みふけってしまうという、困った状況になるが、それもまた楽しい。

2011-08-06

酔って候, 司馬遼太郎

文春文庫
2011-08-06 読了 (2回目?)

最近、幕末に再度はまり気味。これは山内容堂、島津久光、伊達宗城、鍋島閑叟の4人の大名をそれぞれ短編で描いた作品集。とはいえ伊達宗城の編「伊達の黒船」は、船に載せる蒸気機関を作った職人・嘉蔵がメイン。今から見ると日本の地方都市はかなり画一化・過疎が進んでいるが、当時はそれぞれ独自の道を模索し、トップダウンで先進的な事業に取り組んだりしていたということがわかる。

この中では肥前だけ行ったことがないが、現在ならではの、地方に活気を得るための方法はないものか、と思う。もちろん私なんぞが気にしなくても、それぞれの都市では真剣に検討されているだろうが。

これら(といってもこの中では伊達宗城、鍋島閑叟だが)開明的な大名にならって、外に目を向けたり、科学技術に投資する機運がもっともっと高まればよいが。