2012-09-22

今はもうない, 森博嗣

講談社文庫
2012-09-22? 読了 (3回目?)

珍しく一人称で記述されている。

土屋賢二が文庫版の解説を書いている。割と貴重かもしれない。そうでないかもしれない。

2012-09-17

夏のレプリカ, 森博嗣

講談社文庫
2012-09-17 読了 (3回目?)

前作「幻惑の死と使途」と対になる作品。「幻惑の死と使途」には奇数章しかなく、一方本作「夏のレプリカ」には偶数章しかない。時間が同時に進行しているようだが、今回も、2作を交互に章の順番通り読む、という読み方はしていないので、確かめていない。作者は「そのように読むと混乱するのは必至」のようなことを書いていた気がする。

この作品は雰囲気が独特(他にも独特な雰囲気の作品はあるが)。西之園萌絵がいつもほどには出張らないからか。とはいえ事件に十分首を突っ込んでいるのだが。また、ミステリにお約束ともいえる、最後に関係者を集めて探偵役が謎解き(の解説)をするシーンが、この作品にはないところが良い。

2012-09-14

幻惑の死と使途, 森博嗣

講談社文庫
2012-09-14 読了 (3回目?)

西之園萌絵が大活躍。相変わらずというか、事件に首を突っ込む度合いがさらにエスカレート(?)しているかもしれない。まあそうしないと小説としては面白くないだろうが。犀川だけが主たる登場人物だったら、そもそも事件にかかわらないだろうから、話が進まない。

犯人の家の場所はどうやって知ったのか、良く分からなかった。

犀川のセリフ(森博嗣の考え?)に大きく頷く。
テレビのディレクタが押し付ける感動なんてまっぴらだよ。オリンピックだって、テレビの台本じゃないか。原発反対も、博覧会反対も報道されるのに、オリンピック反対が何故もっと大きく報道されない? 高校野球はどうしてあんなに美化される? マスコミはマスコミを何故攻撃しない? 浜中君。もし君が偏った価値観から自分を守りたかったら、自分の目と耳を頼りにすることだね。テレビを捨ててしまえば、君の目は、少なくとも今よりは正しく、しかも多くのものを見ることになるよ

牧野洋子と西之園萌絵の、ホームページ、インターネットに関する会話の先見性に驚く(この作品のノベルズ版が出版されたのは1997年10月)。
「このまま、日本中の人がホームページを開設したりなんかしたら、もう情報が多過ぎて、結局は役に立たなくなっちゃうんじゃないかしら」
「たぶん、そうなるわ」萌絵は言う。「今みたいに一部の人がやっている間は価値があるけれど。だんだん、自分の日記とか、独り言みたいなことまで全部公開されて、つまり、みんながおしゃべり状態で、聴き手がいなくなっちゃうんだよね。価値のある情報より、おしゃべりさんの情報の方が優先されるんだから、しかたがないわ。でも、それはそれで、価値はないんだって初めから割り切れば、面白いんじゃないかしら。そんな気もする」
「カラオケみたいなもんね」洋子は頷いた。

考えてみると、インターネットがそれほど普及していなかった時代には、マスメディアが「おしゃべり状態」を独占していたが(それは「公共の電波」を使う上では今でも同じだが)、インターネットでは一般の人も「おしゃべり状態」に参加できるようになった、ということか。

引田天功(2代目)a.k.a PRINCESS TENKO が解説を書いている。

2012-09-09

封印再度, 森博嗣

講談社文庫
2012-09-09 読了 (3回目?)

ネタの一部は覚えていても、全部は覚えていないので、なかなか楽しめた。この作品のトリックが一番「理系っぽい」気がする。(どの作品の解説でも、いちいち「理系」について触れられるので、ええかげんもうええだろ、という気になるが)

ついに西之園萌絵が4年生になり、研究室に配属された。「すべてがFになる」では確か1年生だったから、時間の進み方は1作につき7〜8か月といったところか。

萌絵の叔母が初登場らしいが、存在感ありすぎで、全く、最初とは思えなかった。(もちろん私が何度も読んでいるせいだが)

2012-09-03

詩的私的ジャック, 森博嗣

講談社文庫
2012-09-03 読了 (3回目?)

作者が言うように、S&Mシリーズの3作目となって、犀川と西之園萌絵の関係がだんだん近づくというか、発展するというか、よく分からないが、ともかく変化している様子が面白い。とはいえ、殺人事件について、教師とその学生が議論しているというのは、結構不思議だ(犯罪心理学とかそういう講座なら、あるのかもしれない?)。

物語の舞台の(?) N大学工学部4号館や、その中庭の実験室は、「今はもうない」。