2011-09-29

次の巨大地震はどこか!, 宍倉正展

宮帯出版社
2011-09-29 読了

著者のグループで取り組んでいる、地質学的手法による古地震の研究の紹介。とにかく、何度もくり返し吐露されているのは、869年の貞観の津波についての研究成果を取り入れた地震の評価結果が政府の地震調査研究推進本部からまさに公表される直前だったこと、そして、もし、それが公表されていたら、今回の地震・津波の被害者が少しでも減っていたのではないかという悔悟の念である。

著者によると、千島海溝・房総沖・南海トラフに(超)巨大地震が切迫している可能性があるという。その予想はともかく、過去の地震の痕跡を探る手法がバラエティに富んでいて、災害の被害に遭われた方々には不謹慎ではあるが、非常に楽しい。

最近のホットな結果まで惜しげもなく紹介されていて、この分野の研究の面白さがよく現れている。

写真や図も豊富で、非常に読みやすくて一気に読めたが、ただ図に番号がついていなかったのが残念。

2011-09-28

自分探しと楽しさについて, 森博嗣

集英社新書
2011-09-25 読了

タイトルだけからは結構軽い感じで読めるエッセイ的な本かと思いきや、「自分」とはなにか、という哲学的な考察などのある、やや硬い内容だった。とはいえそこは森博嗣、やわらかい語り口で読みやすさへの配慮も忘れない。

著者も書いているが、「やや硬い内容」と感じるのは、敢えて抽象的に書いているからだろう。そもそも、本書の一番の主張はおそらく、

抽象化しよう。考えよう。

ということだろう。

それにしても、これだけの本をトータル12時間で書き上げたそうだ(執筆期間7日)。うんうんと唸りながら書いていたのではとても無理で、書きたい内容がほとんど頭の中にあり、とにかくタイプしてそれを記号化する、という作業なのではないかと想像する。とても真似できそうにない。

2011-09-24

A Dramatic Turn Of Events, Dream Theater

2011-09-24 購入

Drummer の Mike Portnoy が脱退したと聞いてどうなることかと思ったが、むしろメンバーチェンジのせいか、ここ最近のダークさがやや後退し、メロディを聴かせるタイプの曲が全面に出て、派手さはそれほどないが、個人的に非常に好ましい方向性だと感じる。まだ十分に聴き込んでいないが、これまでの作品の中でもかなり良い方ではないか。

2011-09-23

津波と原発, 佐野眞一

講談社
2011-09-22 読了

本書は大きく分けて (1) 津波; (2) 原発; の2部からなっている。しかし (1) は全体から見ると分量も少なく、わざわざ現地に出かけて行ってオカマさんの消息を訪ねたりと場当たり感が強い。津波で有名な山下文男さんの取材は面白いが。山下氏が日本共産党の元文化部長だったというのは初めて知った。

この本の眼目は2部の原発に関する部分だろう。特に日本に原子力発電所が根付く過程を、国や地元の政治家・実業家を軸に解きほぐしている部分は面白かった。
  • 元読売新聞社主の正力松太郎がメディアも使って原子力導入を推進
  • 福島第一原発は、堤康次郎が買い上げて塩田にしていた元陸軍飛行場跡地に建設

これを読むと、原子力政策は国と電力会社が一体で推進されていて、東京電力などの電力会社は民間企業のはずだが、容易には潰されないのも、さもありなんという感じだ。

しかし、原発労働を「誇り無き」「後ろめたい労働」など感覚的にネガティブにしか描かず、技術的な側面をまったく無視した記述はどうかと思う。これが世間一般的な認識なのだろうが、これでは森博嗣がいうような科学的思考・定量的思考が普通に根付くのは夢のまた夢という気がする。

また、あとがきなどで、今回の津波を「三陸津波」と言っているが、津波で被災したのは三陸地方だけでなく、この本で大々的に取り上げている福島原発がある福島県、仙台平野や茨城、千葉などの東日本の太平洋側の広い地域だ。意味がわからない。

2011-09-19

「死んでも仕方がなかった」で済ませていいのか? “釜石の奇跡”の立役者があぶり出す安全神話の虚構, 吉田典史

「死んでも仕方がなかった」で済ませていいのか?
“釜石の奇跡”の立役者があぶり出す安全神話の虚構, 吉田典史


ダイヤモンドオンラインで連載されている「『生き証人』が語る真実の記録と教訓~大震災で『生と死』を見つめて」という吉田典史氏の記事。片田敏孝・群馬大学大学院教授への取材。片山氏は「釜石の奇跡」の立役者。

2万人近くに及ぶ死者・行方不明者は少なくとも3つのカテゴリーにわけられる:
  • 要援護者
  • 職責を全うした人たち
  • 避難意識が徹底されていなかった人や、その犠牲になった人

2点目の人たちについては、報道等では「殉職」「美談」としてしか取り上げられないが、本当にその人たちも犠牲にならなければならなかったのか、を問い直す必要があるという。

1人でも多くの人の命を救うことに、一点の曇りもあってはいけない

また3点目の人たちについては、「科学・技術」と「防災」について考えこんでしまう。片山氏は、防潮堤のある宮古市田老地区での犠牲者について

強固な防潮堤が多くの人を救った。一方で、津波から逃げる意識を弱くしてしまい、結果としてたくさんの人の命を奪った

という面があると指摘している。これは森博嗣が指摘するように、個人個人が科学的思考法を身に付けず、科学・技術のその時点での成果だけを盲目的に信用することの危険性と同義なものだ。「では防潮堤などなかった方が良いのか」と短絡的に考えるのではなく、防災は複合的な対策が必要であるから、技術的・経済的に取れる対策はとった上で、かつ、行政も対策をとり、個人個人も自分の命を守るために自分で考えて行動することが必要ということだろう。

行政に身を委ねるという根本的な仕組みを変えないと、同じような被害が続く。国民1人1人がそれを真に理解する時期にさしかかっている。災害から命を守るのは、自分なのだ

人間にはそもそも自己防衛能力が備わっている。それは例えば、食べると危険なものは「変な味がする」と感じて吐き出す、などのことだ。しかし、温暖化・原子力・携帯電話・津波、などなど、本能ではなく科学的な知識と思考が必要な危険に対しては、思考停止して結論を急ぎ、0か1かの極端な反応をとりがちである。そうではなく、片山氏が指摘するように

主体的な意思で身を守る

ことが大切で、そのために日頃から科学的情報や思考にすこしずつでも接し身近にしておくことが重要ということだろう。言うに易し行うに難し、だが。

2011-09-11

関ヶ原, 司馬遼太郎

新潮文庫
2011-09-11 読了 (3回目?)

関ヶ原は「天下分け目の決戦」の代名詞だが、戦は博打ではなく、事前の「外交」作戦で九分九厘勝てる態勢をつくって初めて戦端を開くのが「戦上手」なのだろう。その意味では、司馬遼太郎の描き方のせいかもしれないが、家康は憎いばかりに戦上手だ。一挙手一投足が「政治」だったようだ。

また、忠臣蔵に代表されるように、武家社会では「君辱めらるれば臣死す」というような価値観が主流と思いがちだが、戦国時代は義でなく利で動く。おそらく江戸時代以降の(意図的な)儒教の影響か。

目立つ登場人物は他に、石田三成、島左近、黒田官兵衛など。このような本を読んでから古戦場を訪れるのも楽しいだろう。

2011-09-06

キラレ×キラレ, 森博嗣

講談社文庫
2011-09-05 読了

ミステリィなんだろうが、なぞ解きの楽しみとともに、もっと大枠のストーリィがどうなるかも非常に楽しみだ。
そのためには発表順に読む必要がある。森博嗣のWEBでは、
基本的に、著作はその一冊で完結するもので
と記しているが。

2011-09-03

科学的とはどういう意味か, 森博嗣

幻冬舎新書
2011-09-03 読了

タイトル通り、「科学」とはどういうものか、説明されている。

しかしながら、そのことと同程度、あるいはそれ以上に重点が置かれている(と感じた)ものは、教育についてだ。

著者によると、一般向けの科学の本や記事は、いかにして「科学は楽しいものか」をアピールして、興味を持ってもらおうとしている、という。この本では(著者いわく)意図的にそういう路線は取らず、等身大の科学、その営みを解説している。

3月の東日本大震災を受けて、それに関する記述が増えたとのことだが、たしかに、科学から目を背け続けていると、自身の生命にも関わることになる。10mの防潮堤があって、予想される津波の高さが3mというから大丈夫と思った、という被災者のコメントを聞いたことがある。また、本書にもあるとおり、福島第一原発の事故後、各地で測定した放射線量の値は数字で発表されているのに、テレビのコメンテーター等が「はっきりと示してほしい」と言っていたそうだ。

多くの人の関心は、自分のいる場所が危険なのかどうか、ということだろうと思うが、原発にしても自然災害にしても、少し考えてみれば1か0か白黒つけられるものではそもそもないし、様々な状況、データを勘案して、最終的には各自が判断するしかない。難しい(と感じる)ものはやはりなかなか調べる気も起こらないが、最悪、自分の命に関わることを、他人(国、自治体、近所の人、マスコミ? etc.)の判断にまかせるのはやはり異常だと思う。

そうならないために、「超巨大地震に迫る 日本列島で何が起きているのか」に書かれていたように「災害を正しく恐れる」ためにも、科学的・定量的な思考に普段から慣れておく必要がある。また、少しでも多くの方が、そのような考え方に慣れていただくための方法(教育)も重要だ。

引用したい箇所がいくつもあった。しかし、こういう良い本はなんども読みなおせばよい。