“釜石の奇跡”の立役者があぶり出す安全神話の虚構, 吉田典史
ダイヤモンドオンラインで連載されている「『生き証人』が語る真実の記録と教訓~大震災で『生と死』を見つめて」という吉田典史氏の記事。片田敏孝・群馬大学大学院教授への取材。片山氏は「釜石の奇跡」の立役者。
2万人近くに及ぶ死者・行方不明者は少なくとも3つのカテゴリーにわけられる:
- 要援護者
- 職責を全うした人たち
- 避難意識が徹底されていなかった人や、その犠牲になった人
2点目の人たちについては、報道等では「殉職」「美談」としてしか取り上げられないが、本当にその人たちも犠牲にならなければならなかったのか、を問い直す必要があるという。
1人でも多くの人の命を救うことに、一点の曇りもあってはいけない
また3点目の人たちについては、「科学・技術」と「防災」について考えこんでしまう。片山氏は、防潮堤のある宮古市田老地区での犠牲者について
強固な防潮堤が多くの人を救った。一方で、津波から逃げる意識を弱くしてしまい、結果としてたくさんの人の命を奪った
という面があると指摘している。これは森博嗣が指摘するように、個人個人が科学的思考法を身に付けず、科学・技術のその時点での成果だけを盲目的に信用することの危険性と同義なものだ。「では防潮堤などなかった方が良いのか」と短絡的に考えるのではなく、防災は複合的な対策が必要であるから、技術的・経済的に取れる対策はとった上で、かつ、行政も対策をとり、個人個人も自分の命を守るために自分で考えて行動することが必要ということだろう。
行政に身を委ねるという根本的な仕組みを変えないと、同じような被害が続く。国民1人1人がそれを真に理解する時期にさしかかっている。災害から命を守るのは、自分なのだ
人間にはそもそも自己防衛能力が備わっている。それは例えば、食べると危険なものは「変な味がする」と感じて吐き出す、などのことだ。しかし、温暖化・原子力・携帯電話・津波、などなど、本能ではなく科学的な知識と思考が必要な危険に対しては、思考停止して結論を急ぎ、0か1かの極端な反応をとりがちである。そうではなく、片山氏が指摘するように
主体的な意思で身を守る
ことが大切で、そのために日頃から科学的情報や思考にすこしずつでも接し身近にしておくことが重要ということだろう。言うに易し行うに難し、だが。
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