2012-08-26

ベイジン (上) (下), 真山仁

東洋経済新報社
2012-08-26 読了 (図書館)

事前情報なく図書館で見つけて読んでみた。すると、この作者お得意の(?)経済小説とはちょっと違い、日本の原子力技術者と中国の役人が中心となって世界最大の加圧水型原子炉を中国に作るという話。ちょうど北京オリンピックが開催された2008年夏に向けて、雑誌に連載されていたようだ。

様々な登場人物が、それぞれの視線・立場から、オリンピックや原発にかかわっていて、いろいろな読み方ができると思う。自分はやはり、技術者が可能な限りの力を尽くして、安全で素晴らしい発電所を作り上げるというところに惹かれる。巨大なプロジェクトなので一筋縄ではいかないところも良くできていると思う。逆に、映画監督の筋は必要性が良く分からない。

後半の発電所での事故は、福島第一原発の事故を彷彿とさせる。現実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、現実の福島のほうがはるかに深刻な事態を招いてしまっている。それにしても、全電源喪失やベントなど、有名になってしまったことがらを、見てきたように描いているのはすごい。奇しくも、小説内でも言及されているが、原発はどこか一つで重大事故が発生すると、世界的にアゲインストの影響が出るということだ。核分裂を制御し、そのエネルギーを取り出す技術自体はすばらしいと思うが(廃棄物の問題は残るが)、実際にそれを作るのは実験室のような他の影響のない理想空間ではなく、雨も降れば風も吹く、地震もあれば津波もある地球上で、しかもそちらを制御するのはほぼ不可能というところが、根本的な問題か。施設の規模を小さくして立地の制約を緩くするとか、太平洋どまんなかの深海底で稼働できるようにするとか、が必要か? すでに検討されているかもしれないが。

神戸・元町の中華街(南京町)も舞台の一つになっている。そこに出てくる中華料理店「小小心縁」は実名で存在するらしい。

2012-08-24

バイアウト (上) (下), 真山仁

講談社
2012-08-24 読了 (図書館)

ハゲタカ」の続編。
世の中の(というかマスメディアが作り上げた?)買収ファンドのイメージでは、弱い相手に対して資金力にものを言わせて買収してしまう、という感じだと思うが、この本では(そして実際は)、情報力・交渉・駆け引きなどの能力が重要という。実際にそうだろう。

ところで、かの Warren Buffett は、株式投資で米国第2位の資産を築いたとよく言われるが、「スノーボール」によると、投資した会社に自ら乗り込んでいったりする(経営する)こともあるようだ。そう考えると、本質的には両者に違いはないことになる。

株は英語で share とか stock とか equity とか呼ばれる。share は端的に「会社の所有割合・区分所有」ということだろう。というわけで当たり前だが、株式投資とは会社(の一部分)を買うことに他ならない。

またその株式が上場(公開)されているということは、会社(のある割合)を自由に売買できるということだ。買われたくない会社は非上場にするしかない。

鷲津のセリフが端的:
株式市場に上場したら、会社を買ってくださいという意味だと、私が日頃から申し上げている...

そう思うと、日本は「最も成功した社会主義国」と言われることがあるが、曲がりなりにも株式市場があるのが殆ど奇跡的に思える。

2012-08-19

金持ちいじめは国を滅ぼす, 三原淳雄

講談社+α新書
2012-08-19 読了 (図書館)

タイトルに惹かれて借りて読んでみたが、タイトルは単に多くのトピックのうちの一つを示しているだけのようで、いつものように(?)政府・国会議員・官僚・日本人・などなど、やや大づかみではあるが、最近の風潮に反して正論と思える、ときに耳の痛い主張を堂々と披露されている。

まえがき
2100年にどういう日本を残したいか、将来の孫子のためにどんな国を残すか、そのために自分は何ができるか、一度ぜひ考えてもらいたいのである。

第1章
日本の将来は具体的には、「金融立国」「投資立国」「ブランド立国」「知財(知的財産権)立国」ということになるだろう。もはや額に汗して機械の代わりになるような労働力が主体になる経済など、日本では絶対にありえない。

2012-08-17

真相ライブドアvs.フジ, 日本経済新聞社(編)

日本経済新聞社
2012-08-17 読了 (図書館)

この本は、2005年の株式会社ライブドア(当時)と株式会社フジテレビジョンによる、株式会社ニッポン放送の株式争奪戦およびそれによる株式会社フジテレビジョンの経営権を狙った一連の出来事について書かれている。それが一応の結論をみた直後に出版されているようだ(2005年6月22日発行)。なので、もっと劇的な、その後の強制捜査および堀江氏らの逮捕、刑事・民事訴訟については触れられていない。

副題が「日本を揺るがした70日」とあり、その間の両者および関係者の動きなどは分かりやすくまとまっている。また株式会社ニッポン放送と株式会社フジテレビジョンの資本が逆転関係になった経緯についても触れられており、納得できた。

しかし、天下の日経新聞が書いた本にしては、様々な戦術や経済的概念などについての記述が物足りない。まるで一般紙を読んでいるようだ。しかも、株式分割で株価が上昇したことの説明は、重要な点が明らかに不足していると思われる。Wikipediaには

この現象の原因の一つには、分割権利落日(2003年12月26日)には1株単価が100分の1になるが、当時、新株は制度上の理由からおよそ2ヵ月後(2004年2月2日)にならないと受渡が行われなかったので、その間、流通株の時価総額が分割前の100分の1となり需給が逼迫したとされている。

とあるし、橘玲「臆病者のための株入門」でも、当時の制度上の欠陥を主因に挙げ、株式分割で株価が上昇したメカニズムを分かりやすく解説していた。それに対してこの本では

株式分割をやっても企業の価値自身に変化はないので、本来は分割で時価総額が大きく変わることはない。ところが実際には分割すると、新株が流通するまでの一時期、株式市場に出回る株券が相対的に少なくなり、受給が逼迫、わずかな買いで株価が上昇しやすくなることがある。(p. 67)

と、制度上の問題点については触れられていない。しかもこの少し後の部分には

ちなみに、大幅な株式分割に対しては、東京証券取引所などが上場企業に実行しないよう要請。今では事実上、実施できなくなった。大幅分割は違法行為ではないが、それだけ「危うさ」のつきまとった手法だったのだ。

と書かれている。もちろん株式分割の事務処理に多少の手間はかかるだろうが、しかし上の引用部分にも書かれているとおり、株式分割は本来企業価値に関係ないし、小口にすることで売買が活発になり、証券取引所にとっても悪くない話のはずだ。邪推するに、取引が小口化されすぎると、取引所で捌かなくてはならない取引数が莫大になり、(貧弱な)取引システムでは追いつかなくなるので、あまり分割しないでください、というお願いベースの話だろうと思う。それを「危うさのつきまとった手法」と言ってしまうのは、本当に「経済」新聞かと驚く。

また、この本には関係ない部分ではあるが、その後の証券取引法違反容疑での捜査・逮捕・裁判などは、同様な証券取引法違反(粉飾決算)をやったカネボウ株式会社や日興コーディアルグループにくらべてはるかに重い社会的制裁を受けた。しかもライブドアは利益を水増ししたとされていて、そのために余分な納税も行なっているらしい。「伝統ある」日本企業はそうとうなことをやっても、会社が潰れるくらいにならないと立件されないし、上場廃止にもならなかったのに対し、ライブドアのような「ぽっと出の」会社は、強制捜査をやろうが、それで株価が下がろうが、上場廃止にしようが関係ない、のだろう。そのような「出る杭は打たれる」ような社会にしておきながら、一方で、日本には起業が少ない、とか言っているのは一体どういうつもりなのだろうか。ライブドアがどのような事業をしていたか詳しく知っていたわけではないし、それを擁護するつもりはないが、この事件をきっかけにしてもたらされた日本の新興市場の冷え込みや社会の閉塞感などが回復することはあるのだろうか。

この本が対象にしている期間では、この対決は日本を揺るがしたのではなく、既得権益に守られたテレビや新聞などマスメディアの関係者が揺さぶられたのだろう。それでもニッポン放送やフジテレビジョンは、上場しているためにこのようなターゲットになり得た。株式会社日本経済新聞社、株式会社読売新聞グループ本社、株式会社朝日新聞社、株式会社毎日新聞社はすべて非上場。おかげでこのようなターゲットになる心配はないし、上場に必要な情報公開はしなくていい。もちろんわざわざ上場して市場から資金を集めてやるほどの事業がないのだろうし、企業価値が上がらなくても良いのだろう。

ところでこの本を読んで思い出したことが一つ。この騒動の最中に堀江氏がよく言っていたセリフが
想定の範囲内です。
であった。

2012-08-16

世に棲む日日, 司馬遼太郎

文春文庫
2012-08-15 読了 (2回目?)

前半は吉田松陰、後半は高杉晋作。

このような英雄的な人物というのはどのようにして生まれるのか、というか、現れるのか、という点に興味がある。歴史・人物を網羅的・系統的に見たわけではないので分からないが、少なくとも、歴史小説の題材になるような人物は、天下泰平の時代には少ないように思える。

幕末に活躍し、名が残っている人物には傑出した人が多いように思われるが、それは幕藩体制から維新という時代の激動期に活躍したから名が残ったのか、それとも、そのような人物たちが現れたから時代が変化したのか。おそらく両方の要因があるだろうが。

高杉晋作が泰平の世の中に生まれて、クーデターを起こそうとしても、維新ではなく乱や一揆で終わってしまうかもしれない。しかし、例えば、アリの社会では、ある集団のなかから「働きアリ」を取り除くと、働かないアリだけになってしまうのではなく、残りのアリの中から働きアリが現れるという(ソースが見つけられないが)。

いわゆる「生き残りバイアス」があるのでマクロな?歴史の研究はなかなか難しそうだ。

マクロな歴史の研究というと、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄 (Guns, Germs, and Steel)」が思い浮かぶ。

とりとめもなく。つれづれに。

それにしても、27歳でその生涯を終えるとは。そんな短い期間で歴史に残ることを成し遂げるということに驚く。

2012-08-11

笑わない数学者, 森博嗣

講談社文庫
2012-08-11 読了 (N回目?)

森博嗣のミステリィ工作室」でのこの作品の「あとがき」に、
『笑わない数学者』は、ミステリィの枠組みの中に、より高尚な(あるいは役に立たない)謎(ミステリィ)を入れ込んだストラクチャを持っている。
と書かれていたのが気になった。また、森博嗣の公式ホームページ「森博嗣の浮遊工作室」の中のこの作品の紹介にも
北村氏より頂いた凝った推薦のとおり、トリックは簡単で、誰でも気づくものです。意図的に簡単にしたのです。しかし、トリックに気づいた人が、一番引っかかった人である、という逆トリックなのですが、その点に気づいてくれる人は少ないでしょうね。でも、少なくとも北村氏は気づいたのですから、森としては、これでもう十分です。
と書かれていることに最近(というか今)気付いた。でもよく分からない。この作品に限らず、森博嗣の作品中には詳細が明かされない記述などがよくあるが、自分はほとんど考えていないので、そのような記述は素通りしてしまう。そのような読み方だと何度読んでも新しい発見がある、と好意的にとらえておこう。

この作品名でgoogle検索してみると、amazonや作者のホームページでなく、一般読者 (?) のネタばれ解釈のページがリストの上のほうにきていた。ただそれらをいくつか見てみても、「逆トリック」というのが何を意味しているのかよく分からない。

2012-08-07

冷たい密室と博士たち, 森博嗣

講談社文庫
2012-08-07 読了 (N回目?)

この作品が、実は森博嗣が一番最初に書いた小説らしい。

西之園萌絵が、県警本部長の叔父を持つという立場をフルに活用して、事件に深入りしすぎるところがすごいというかなんというか。これが小説でなかったら大変だ。少なくとも不法侵入で、刑事事件は不起訴にしても大学は停学処分くらいになるのではないか。こちらも元総長の娘&県警本部長・県知事妻の姪という立場を生かしてもみ消したか。

森博嗣のミステリィ工作室」に本人が書いていたとおり、森作品にしては珍しく動機の記述が多い。

UNIXの talk とか懐かしい感じ。

2012-08-05

森博嗣のミステリィ工作室, 森博嗣

講談社文庫
2012-08-05? 読了 (N回目?)

森博嗣が選んだ100冊の本、S&Mシリーズについての「あとがき」的な解説(?)、専門誌に書いたエッセイ(?)など、森博嗣のファンのための作家情報本(?)。オリジナルはハードカバーで1999年に出ているようだ。小説を書き始めて3年ほどの頃のようだ。この頃はまだN大学にお勤めの傍ら、作家業をしていた。

別の本に書かれていたと思うが、何度か自宅の引越しをされていると思う。この頃はまだそれほど広い庭がなかったらしく、軽便鉄道も比較的ささやかなものだ。

目次に100冊の本の名前があると便利なのに、と思っていたら、巻末にタイトルと人名の索引が付いていた。

四季 冬, 森博嗣

講談社文庫
2012-08-05 読了 (2回目??)

いつ頃の時代の話かよく分からないが、かなり後のようではある。おかげでややSFチックな雰囲気がある。まあ森博嗣の作品はいろいろな機械などが出てくることも多いので、少なからずSF的でもあるが。

かなり模糊とした雰囲気。と感じるのは私だけか。

この作品だけでなく他の作品にも確か書かれていたが、人間の細胞は、古いものから新しいものにどんどん入れ替わっているので、そのようなことを突き詰めて考えれば、個人個人の identity は記号しかない、というのはそんな気がする。そうであれば、身体と人格(精神?)は原理的には分離可能ということになるのか?しかしそれが進化(変化)を続ける、というところが本質かもしれない。とするとやはり身体あってのものという気もする。


これでこのシリーズを全て読んだことになるが、以前借りて読んだ話と本当に同じなのか、そこが全く分からない、というか記憶がない。自分がなにか勘違いをしているかもしれない。

2012-08-01

四季 秋, 森博嗣

講談社文庫
2012-08-01 読了 (2回目?)

犀川・西之園のコンビが全面的に出る。ほとんどS&Mシリーズ。かつ登場人物はやっぱりVシリーズからも。他にもあやしい人の名前がでる。シリーズものの大枠構成がここに集まる、という感じ。

場所もいろいろ変化。