新聞購読者の年齢構成に関する直接のデータではないが、日本全体の人口の推移を見れば、日本の新聞を購読する可能性のある人数の推移が分かる。
総務省統計局「日本の統計2010」によると、年少人口 (14歳以下)、生産年齢人口 (15〜64歳)、老年人口 (65歳以上) の推移は以下のようになっている。
年 | 年少人口 | 生産年齢人口 | 老年人口 |
---|---|---|---|
昭和60年 (1985) | 26,033 (21.5%) | 82,506 (68.2%) | 12,468 (10.3%) |
平成17年 (2005) | 17,521 (13.7%) | 84,092 (65.8%) | 25,672 (20.1%) |
このように、1985年から2005年の20年間で14歳以下の子供の割合が3分の2に減る一方で、65歳以上の割合が倍に増えている。このような年齢構成のドラスティックな変化に基づけば、新聞が対象とする読者の年齢層をどんどん引き上げるのは理にかなっている。このような読者の年齢構成の変化はなにも活字の大きさだけに影響しているわけではあるまい。当然ながら、扱う記事やその論調も、主たる読者である高齢者層に気に入ってもらえるようなものが多くなるバイアスがかかるはずだ。(例: 比較的低年齢層にはサッカーファンが増えてきているが、相変わらずスポーツ面の主役は日本の野球; 外国といえばアメリカ (アメリカのこととなると、小浜市がオバマ大統領を応援する、とか、そんな小ネタまで報道するのに、その他の海外の記事は非常に少なく、最近のエジプトなどの政変についても、Reuters, APなどを引用した記事が多い); など)
昨今、「若者の○○な気質」「若者の○○離れ」などという論調を耳にすることが多いが(この論調自体、主たる購読者である老齢者目線になっている)、それらの多くのものが、上のような年齢構成の変化を考えれば、説明がつくことが多い。
例えば「若者の自動車離れ」ということがまことしやかに語られている。確かに、自動車の販売数などを見れば、若い人で車に乗る人の割合が減っているのだろう。しかし、このことから短絡的に、「若者の自動車離れは若者の考え方・好みの変化の結果」などと原因を決め付けてはいけないと思う。
上記の統計は日本全国の集計結果であるので、地方によっては、これよりさらに急激に若年人口の減少・老齢人口の増加が進んでいるところがあるだろう。実際、多くの地方では、過疎化・高齢化が進んでいる。裏を返せば若い人がどんどん減っているのだ。ただし全国平均よりも早く若年人口が減る地方もあれば、それよりゆっくりなところもある。想像するに、そのように過疎化・高齢化が進んでいるのは、自動車の必要性が高い田舎で、逆に車の必要性が高くない都市部では、相対的に若年層の割合の減少は少ないと思われる。すなわち、「若者の自動車離れ」は、考え方・好みの変化が根本原因ではなく、おそらく、住む場所を含むライフスタイルそのものが変化してきており、そのために車を持たなくてもよいと考える人の割合が増えてきたことの結果として出てきていることなのではないかと思う。
さて以上は長い前フリ。ここで考えたいのは、新聞社や自動車販売会社の経営不振の問題ではなく、今の日本の、特に若年層にある、将来に対する閉塞感、政治に対する諦め、といったものをどうすれば打開できるか、もしくは、それに近づけることができるか、ということである。
でいきなり余談だが、一介のサラリーマンである私は、先日配布された給与所得の源泉徴収票を見て愕然とした。それは、年収のうち、税金と社会保険料で差し引かれた額があまりに大きいからだ。別に累進課税の率が高い高額所得者ではないので所得税額に驚いたわけではなく、所得税額の倍以上の額が社会保険料として徴収されていて、その額の大きさに愕然としたわけだ。特に年金に対する支払は、年々料率が増えていっているのに、今高齢者が受給している額よりも少ない金額しかもらえないことがほぼ確定しているので、できることなら全国民でごっちゃにするのでなく、全額を個人勘定で運用させてもらいたいところだ。
このように年金に代表される多くの問題で、世代間での利益の対立がある。しかしながら、国権の最高機関たる国会の議員は、圧倒的に「お年寄り」が多い。これは当然ながら、上記の年齢構成が反映された結果だが、それにも増して高齢者の割合が多い気がする。これはおそらく、選挙制度の影響だと思われる。すなわち、年齢構成はただでさえ高齢者人口が多いのに、国政選挙は、全国を複数の選挙区に分けて行われるので、どの選挙区でも高齢者の有権者が多く、有権者が自分の歳と近い年代の候補者をより好むと仮定すると、結果的に、国会議員は P(y) = y^2 (y は年齢) のような、年寄りほど増え方が増えるような分布をするのではないか。
老人対若者という対立軸でみると、これらの議員たちは、より多くの票を入れてもらわないと当選できないわけだから、新聞と同様、マジョリティである高齢者に支持されるような政策(高齢者健康保険制度を見直す、消費税率は上げない、年金受給世代の金額は減らさない)を支持するバイアスを持つ。これでは、世代間の格差は縮まるどころか、拡大する方向にしか進まない。
それでなくても、そもそも政治というものは、国・地方の将来のための仕事なのに、70歳を超えたような老人ばかりが議員になって、将来のことなど真剣に考えてくれるのかはなはだ疑問だ。
そのような弊害を少しでも減らしていくためには、
- 地域毎に選挙区を分けるのでなく、世代毎に選挙区を分ける
- 議員も特殊な公務員なのだから、60歳程度で定年を設けるべき
- とにかく若い候補者に投票する。若くないと、本気で将来のことを考えない
ついでに議員の世襲を減らすために、
- 政治資金団体を介した贈与・相続にもきちんと課税する
もちろん、議員が若返っても、それだけでは問題が解決するわけではないし、「閉塞感」などというものが解消されるとも思わないが、今よりは何かが進みそうな気がする、ということを感じさせてくれるだけでもだいぶ変わるかもしれない。
とはいえ、選挙制度や税制を決めることができるのは彼ら国会議員なわけだから、候補者が選挙期間中だけ連呼する「抜本的な改革」は、年齢構成が「抜本的に変わる」はずの20〜30年後にならないと無理かもしれない。となると、その頃には政府の債務残高と国債の長期金利はいったいどうなっているだろうか。
個人でいろいろな選択肢を持っておくこと・持てるように努力することの重要性はますます高まりそうだ。