2011-02-20

世代間闘争、あるいは新聞の活字がどんどん大きくなることについて

新聞は競うようにして活字を大きくしている。これはもちろん、購読者数の大半を占める高齢者に対するサービスだ。

新聞購読者の年齢構成に関する直接のデータではないが、日本全体の人口の推移を見れば、日本の新聞を購読する可能性のある人数の推移が分かる。

総務省統計局「日本の統計2010」によると、年少人口 (14歳以下)、生産年齢人口 (15〜64歳)、老年人口 (65歳以上) の推移は以下のようになっている。

年少人口生産年齢人口老年人口
昭和60年 (1985)26,033 (21.5%)82,506 (68.2%)12,468 (10.3%)
平成17年 (2005)17,521 (13.7%)84,092 (65.8%)25,672 (20.1%)
(単位: 千人)

このように、1985年から2005年の20年間で14歳以下の子供の割合が3分の2に減る一方で、65歳以上の割合が倍に増えている。このような年齢構成のドラスティックな変化に基づけば、新聞が対象とする読者の年齢層をどんどん引き上げるのは理にかなっている。このような読者の年齢構成の変化はなにも活字の大きさだけに影響しているわけではあるまい。当然ながら、扱う記事やその論調も、主たる読者である高齢者層に気に入ってもらえるようなものが多くなるバイアスがかかるはずだ。(例: 比較的低年齢層にはサッカーファンが増えてきているが、相変わらずスポーツ面の主役は日本の野球; 外国といえばアメリカ (アメリカのこととなると、小浜市がオバマ大統領を応援する、とか、そんな小ネタまで報道するのに、その他の海外の記事は非常に少なく、最近のエジプトなどの政変についても、Reuters, APなどを引用した記事が多い); など)

昨今、「若者の○○な気質」「若者の○○離れ」などという論調を耳にすることが多いが(この論調自体、主たる購読者である老齢者目線になっている)、それらの多くのものが、上のような年齢構成の変化を考えれば、説明がつくことが多い。

例えば「若者の自動車離れ」ということがまことしやかに語られている。確かに、自動車の販売数などを見れば、若い人で車に乗る人の割合が減っているのだろう。しかし、このことから短絡的に、「若者の自動車離れは若者の考え方・好みの変化の結果」などと原因を決め付けてはいけないと思う。

上記の統計は日本全国の集計結果であるので、地方によっては、これよりさらに急激に若年人口の減少・老齢人口の増加が進んでいるところがあるだろう。実際、多くの地方では、過疎化・高齢化が進んでいる。裏を返せば若い人がどんどん減っているのだ。ただし全国平均よりも早く若年人口が減る地方もあれば、それよりゆっくりなところもある。想像するに、そのように過疎化・高齢化が進んでいるのは、自動車の必要性が高い田舎で、逆に車の必要性が高くない都市部では、相対的に若年層の割合の減少は少ないと思われる。すなわち、「若者の自動車離れ」は、考え方・好みの変化が根本原因ではなく、おそらく、住む場所を含むライフスタイルそのものが変化してきており、そのために車を持たなくてもよいと考える人の割合が増えてきたことの結果として出てきていることなのではないかと思う。

さて以上は長い前フリ。ここで考えたいのは、新聞社や自動車販売会社の経営不振の問題ではなく、今の日本の、特に若年層にある、将来に対する閉塞感、政治に対する諦め、といったものをどうすれば打開できるか、もしくは、それに近づけることができるか、ということである。

でいきなり余談だが、一介のサラリーマンである私は、先日配布された給与所得の源泉徴収票を見て愕然とした。それは、年収のうち、税金と社会保険料で差し引かれた額があまりに大きいからだ。別に累進課税の率が高い高額所得者ではないので所得税額に驚いたわけではなく、所得税額の倍以上の額が社会保険料として徴収されていて、その額の大きさに愕然としたわけだ。特に年金に対する支払は、年々料率が増えていっているのに、今高齢者が受給している額よりも少ない金額しかもらえないことがほぼ確定しているので、できることなら全国民でごっちゃにするのでなく、全額を個人勘定で運用させてもらいたいところだ。

このように年金に代表される多くの問題で、世代間での利益の対立がある。しかしながら、国権の最高機関たる国会の議員は、圧倒的に「お年寄り」が多い。これは当然ながら、上記の年齢構成が反映された結果だが、それにも増して高齢者の割合が多い気がする。これはおそらく、選挙制度の影響だと思われる。すなわち、年齢構成はただでさえ高齢者人口が多いのに、国政選挙は、全国を複数の選挙区に分けて行われるので、どの選挙区でも高齢者の有権者が多く、有権者が自分の歳と近い年代の候補者をより好むと仮定すると、結果的に、国会議員は P(y) = y^2 (y は年齢) のような、年寄りほど増え方が増えるような分布をするのではないか。

老人対若者という対立軸でみると、これらの議員たちは、より多くの票を入れてもらわないと当選できないわけだから、新聞と同様、マジョリティである高齢者に支持されるような政策(高齢者健康保険制度を見直す、消費税率は上げない、年金受給世代の金額は減らさない)を支持するバイアスを持つ。これでは、世代間の格差は縮まるどころか、拡大する方向にしか進まない。

それでなくても、そもそも政治というものは、国・地方の将来のための仕事なのに、70歳を超えたような老人ばかりが議員になって、将来のことなど真剣に考えてくれるのかはなはだ疑問だ。

そのような弊害を少しでも減らしていくためには、
  1. 地域毎に選挙区を分けるのでなく、世代毎に選挙区を分ける
  2. 議員も特殊な公務員なのだから、60歳程度で定年を設けるべき
  3. とにかく若い候補者に投票する。若くないと、本気で将来のことを考えない
というものを提案したい。

ついでに議員の世襲を減らすために、
  • 政治資金団体を介した贈与・相続にもきちんと課税する
というものも加えたい。というのも、こちらで解説されているように、 政治家(立候補すればよい?)にはとんでもない節税スキームが用意されているらしいから。

もちろん、議員が若返っても、それだけでは問題が解決するわけではないし、「閉塞感」などというものが解消されるとも思わないが、今よりは何かが進みそうな気がする、ということを感じさせてくれるだけでもだいぶ変わるかもしれない。

とはいえ、選挙制度や税制を決めることができるのは彼ら国会議員なわけだから、候補者が選挙期間中だけ連呼する「抜本的な改革」は、年齢構成が「抜本的に変わる」はずの20〜30年後にならないと無理かもしれない。となると、その頃には政府の債務残高と国債の長期金利はいったいどうなっているだろうか。

個人でいろいろな選択肢を持っておくこと・持てるように努力することの重要性はますます高まりそうだ。

2011-02-16

貧乏はお金持ち, 橘玲

講談社
2011-02-16 読了
図書館

そもそもの設定(サラリーマンが法人化する)が唐突だ(もし本当に会社勤めの人が法人化したとして、もとの勤め先の会社が、新規法人と業務請負契約を結んでくれるか?)が、様々なテクニック、知識を教えてくれるという意味では、非常にとっつきやすい。

サラリーマンにはあまりなじみのない法人について個人との税法上の違い、会社の種類、会社の作り方、会計・簿記の基礎などなど、いつもながらに充実した情報が得られる。この知識が役立つかどうかは分からないが、ものの見方が広がる。縄文時代の歴史や漢文などを教える時間があるなら、資本主義の根幹を成す会社やファイナンスについて教えることが何倍も重要だと思う。

「減価償却」の考え方が分かりやすかった。
減価償却は、年数とともに価値が減価する資産を購入した際の会計上の扱い
現預金が500万あって、それを使って300万の車を買った場合、BSの資産の部は現預金200万と固定資産(車)300万になるだけ。キャッシュフロー上は300万の支出だが、資産としては変わらない。しかし普通自動車の法定耐用年数は6年だから、300万の営業車の会計上の価値は毎年50万ずつ減価していく。これは会計上の経費とみなされるが、すでに代金は払い済みだから、翌年以降のキャッシュフローにはまったく影響なし。初年度の300万の支出を6年かけて費用化する。

2011-02-07

Googleの正体, 牧野武文

マイコミ新書
2011-02-07 読了
図書館

Googleの収益構造に着目し、なぜGoogleが一見利益になりそうにない新しい無料のサービスを次々と開発していくか、の合理的な解説が目玉。

エッセンスは、Googleは検索広告がほとんどの売り上げで、それは検索回数にほぼリンクしているので、その検索回数を稼ぐための方策として、各種無料サービス、無料ソフト、Androidなどを開発している、というものだ。その中にはインターネットを普及させ、利用者を増やす、という考えも含まれる。これは確かに合理的な説明だ。

Googleのサービスにどっぷり使っている身としては、まさに電気や水道などのインフラと同様になくてはならないものだ。実際、数年前、日本時間の平日昼間にGoogleが一時的に使えなくなったことがあったが、その間非常に不便な思いをさせられた。Googleだけに依存するのはリスク集中の観点からも望ましくないが、なかなか難しい。それとともに、当然プライバシーの問題もある。Gmailも最初に使ったときは、メールの文面に関係する広告が表示されたのを見てびっくりしたが、慣れてしまった(慣らされてしまった?)。

未来永劫 Google の天下は続かないと思うが、そうでなくても、リスク分散は必要だ。

2011-02-06

ネットがあれば履歴書はいらない ウェブ時代のセルフブランディング術, 佐々木俊尚

宝島社新書
2011-02-06 読了

個人版SEOとでもいえる内容。タイトルどおり、ネット上に自分を露出し、他の人に自分の得意分野・考え方などを知ってもらうということ。

セルフブランディングの入り口として Twitter が効果的なようだ (私は使っていないが)。ゆえに1章まるまるを Twitter の有用な使い方にあてている。全然知らなかったが、RTは公式サイトの機能には無いそうだ。

しかし、如何にこれらのツールを使いこなしても、本人の中身(情報提供の中身)がなければ仕方が無い。

  • ポジティブなエゴサーチ
  • プライバシーの概念は時代によっても移り変わる。個人情報を提供することで利益を受けることもある (e.g., Amazonリコメンド, 症状を公開することでアドバイスが得られる, etc.)
  • 価格比較サイト coneco.net の専門家社員にはネットで情報発信していた人がいる
  • 役立つwebサービス: Gmail, blog, SBIビジネス, friendfeed, twitter, tumblr, Tombloo (firefox の拡張)
  • mixiは教室内の会話, blogは講演会場, twitterはパーティ形式の立食会 (原文ママ: 「立食形式のパーティ」か?)

スティーブ・ジョブズの流儀, リーアンダー・ケイニー

INSIDE STEVE'S BRAIN, Leander Kahney
三木俊哉 (訳)
ランダムハウス講談社
2011-02-06 読了

Apple の製品づくりの一端が伺える興味深い本。Steve Jobs のデザインにかけるこだわりの強烈さ、それを実現できる能力を持ったスタッフ(必要であれば外部に人材を求める)。

印象深いのは
複雑なものをシンプルに
ということ。世の中には難しい物事がたくさんある。例えば電話のように、それを実現するテクノロジーは殆どの人が理解していないが、誰でも使えるというものがある。コンピュータはまだまだ「誰でも使える」レベルではないが、マスマーケットにreachするためには、誰にでも使えないといけない。オタク向けでは「大ヒット」にはならない。これは難しいが、示唆に富む。

各章の最後に、Steve Jobs に学ぶ教訓がまとめられている。成功者のまねをしたからといって成功できるとは限らないが、非常に感銘を受ける。またなかなか真似できないだろうとも思う。

2011-02-03

グーグル Google 既存のビジネスを破壊する, 佐々木俊尚

文春文庫
2011-02-03 読了
図書館

2006年に出版された本なので、Facebook の F の字も出てこないが、Google の強力な収益源である「キーワード広告」の革命性や「Google八分」、ネットの司祭ともいうべき権力的な存在になってきていることを指摘している。その構造は今も変わっていないだろう。

著者は、ユーザがGoogleなどの検索エンジンを使うようになれば、そのwebページの重要度が人間ではなくアルゴリズムで測定されるため、マスメディアなど従来からの情報の権威と、個人bloggerとの格差が縮まりフラット化する、と述べている。今はそうなっているだろうか。「ロングテール」など、多様化の恩恵が大きいと感じるが、それは個人個人の求める情報が異なり、ある人にとっては、総理大臣の発言よりも、(新聞などには載っていない)おいしいレストランの情報や、PCのパーツ情報の方が重要ということの反映だろう。そういう従来メディアではレア(マイナーですらない)な情報も、検索エンジンのおかげで、ある程度到達するのが容易になったということだろう。(このblogのように殆どreachされないページも星の数ほどあるだろうが...)

最後に述べられている、Googleが「環境管理型権力」というものになっている、という話は怖いことだ。

関係ないが、Facebook などの SNS は、自分で情報の公開範囲を制限できるので、うっかりすると Internet 上に個人情報を置いているという意識が希薄になることがある。確かに、一般には公開されていなくても、他人のサーバの上に自分の情報を置いている、ということを常に意識する必要がある。

2011-02-01

坊っちゃん, 夏目漱石

青空文庫
2011-02-01 読了

おそらく20年ぶりくらいに読んだ。覚えていたことといえば、せいぜい、東京から松山へ「坊ちゃん」が赴任していろいろな事件に遭遇する、という大枠だけだった。

しかしこれほどジメジメとした「奸物」の「謀事」が話の中心だとは全く記憶になかった。「坊ちゃん」と「山嵐」は天誅ののち、あっさりと教職を辞してそれぞれ郷里に戻ってしまう。

文体は江戸っ子らしく(?)カラッとしていて歯切れがよい。終わりがあっさりし過ぎているところも淡白でよい。

(2011-02-04 追記)
ちなみに青空文庫の本は青空キンドルを利用してPDFに変換し、iTunes に登録して iPod Touch の iBooks というアプリで読んだ。電車の中や、暗いところなど、ちょっとした時間に読めて便利。