幻冬舎新書(図書館)
作家が自作の小説などで得る収入についていろいろと書かれている。それだけで一冊の本ができるというのも驚きだ。
印税も10%と決まっているわけではなく、その時々の契約による、という。入試問題などに使われると、別途使用料などを請求できる。
これを知ったからと言って、自分自身には特に参考になるわけではないが、「継続的に作品を書かなくてはだめ」みたいなことも書かれていて、当たり前だが非常にプロ意識を感じる。
作家が自作の小説などで得る収入についていろいろと書かれている。それだけで一冊の本ができるというのも驚きだ。
印税も10%と決まっているわけではなく、その時々の契約による、という。入試問題などに使われると、別途使用料などを請求できる。
これを知ったからと言って、自分自身には特に参考になるわけではないが、「継続的に作品を書かなくてはだめ」みたいなことも書かれていて、当たり前だが非常にプロ意識を感じる。
本当の遊びって、退屈な状態から自分で工夫して夢中状態や楽しさを生み出すことだと思うんです。
基本的に、子供たちのほうが新時代を生きる、進化した生き物なんですね。だから、親が偉そうにする意味がない。むしろ親はブレーキにしかなりません。できるだけ、邪魔しないようにしたいと思っています。
ものごとに感動する感度を高めるには、自分自身が機嫌のいい状態を保っていくことが大事です。だから互いに機嫌よく接することができる過ごし方を探すといいですね。
世界にはまだまだ出会っていないもの、知らないことの方が圧倒的に多い。ですから、何も定めることはできないんです。現時点の僕が設計できる夢や目標なんて、どう頑張っても、小さくまとまってしまうんです。
だから、できることはただ一つ。"感動・感謝の感性" を開いていくこと。
一番ファンダメンタルな力となるのは、やはり「自己肯定感」だと思います。その上で、成功するために大切なのは、「いろいろとやってみよう」と試行錯誤する気持ちになれること。
では、子どもが試行錯誤に前向きになるにはどうしたらいいか。僕は、側にいる大人たちが「なるほどね」「面白いね」「それ、いいんじゃない」と、感心しながら促していくことが大事なんだろうと思います。
人間は無意識のうちに感情に合わせた動きをしているので、感情とは逆のポーズをあえて取れば、それによって感情をコントロールすることができるんです。
過去、日本の予防接種にまつわる議論はとても幼稚(ナイーブ)だった。(中略)煮え切らない問題に白か黒か、善か悪か、という単純な図式でけりをつけようとしてきたのでした。ワクチンを打つと副作用が出る(可能性がある)、ワクチンを打たないと病気になってしまう(可能性がある)、ダブルバインドな状態。成熟した大人の態度は、その煮え切らない問題を、「煮え切らない問題」としてまるごとそのまま受け入れ、落としどころを探るというもの。
予防接種を行う価値のあるワクチンというのは、この「予防接種をせずに病気に苦しむ人」と「予防接種を打って副作用で苦しむ人」とを比較し、前者が後者よりも大きい場合をいう
ホメオパシーそのものの価値や効能については、僕は完全にノーコメントです。ホメオパシーに頼る患者さんも否定しません。
世の中には、自然のものはよいもので、人工的なものはよくないものである、という素朴な信念をお持ちの方がいます。例えば、天然の調味料はよくて、人工調味料はよくない。無農薬野菜はよくて、農薬を使うのはよくない。...この「自然物か人工物か」という議論はナイーブな、意味の小さな議論です。...何の吟味もなしに「人工物だから悪いもの」と断じるのもまたナイーブな議論です。建設的な思考、合理的な考え方、という点で一貫している。このような「成熟した議論」のできる世の中にしていかなくてはならない。
そもそも妻の怒りの理由は、「今、目の前で起きたこと」だけではない。過去の関連記憶の総決算として起こるものなのである。
心が動くと、その「感情の色合い」と同系色の引き出しに収納された過去の体験記憶が数珠つなぎになって、一気に引き出される。「感情によって連鎖される記憶」なので、当然、感情が増幅されて溢れる。理不尽ではあるが、そういう「ネガティブトリガー」を極力減らし、ポジティブトリガーを少しでも増やそう、という戦略を指南してくれる。