2019-06-16

綱の力, 九重貢 (第58代横綱・千代の富士)

ベースボール・マガジン社
2019-06-16 読了(図書館)

2011年の本。
さほど大きくない身体だが、ものすごい筋肉で、私の中で「強い横綱」と言われてまず思いつくのが千代の富士だ。

自宅の畳を数カ月に1度張り替えなければならないほどの凄まじいトレーニングを積んで、あの身体を作り上げていたという。
後進の力士たちへの言葉も、要約すれば「もっともっとしっかり稽古しろ」ということだろう。

これだけの実績を残した大横綱でも、 Wikipedia によると、理事選で落選したことがあるという。現役時代の強さと組織を運営していく能力の高さとは必ずしも一致しないだろうが。

2019-06-15

生きざま, 貴乃花光司

ポプラ社 2012年12月発行
2019-6-15 読了(図書館)

あまりにも真っすぐ、ストイックだ、というのが読後の感想。
あとがきにも書かれているが、「相撲」「師匠(父)」「自分」のことで埋め尽くされている。

当時、いろいろとメディアを賑わわせた、兄弟の不仲や洗脳騒ぎ、などなど、とくに詳しく貴乃花の側から説明されているわけでは無いが、口数が少ない師匠の「分け身」として、自身もまわりの理解を得るための十分な説明ができない・しないので、いろいろと溝が深まっていったのではないか。それは、子供のころから人気力士の息子としてメディアからも注目されていたが、「取材やテレビ出演は大嫌いだった」(母や兄は嬉々としていたが)と書かれているし、マスコミに見当違いのことを書かれても、そこで反論しても「真実をわかってはもらえないのだ」とも書かれているように、自分は自分、他人は他人、と思うようになっていったのではないかと勝手な想像をする。

その後、相撲協会を退職し、奥さんとも離婚し、「一般社団法人貴乃花道場」設立、とますます我が道を行っているが、本人は「自分の信じる道を行く」「周りには分かってもらえない」という思いなのだろうか。この本の最後の方でも触れられているが、相撲の将来を憂い、子供たちに相撲を広めることに相当関心があるように見受けられる。

叔父、父、私とつないできた相撲界と花田家の因縁は私の代で捨てよう。その代わり、この身は惜しむことなく骨の髄まで相撲道に捧げよう。

  • 大関昇進伝達式の「不撓不屈」(ふとうふくつ)という言葉を考えたのは師匠
  • 横綱の伝達式のときの「不惜身命」(ふしゃくしんみょう)という言葉は、女優の藤真利子さんが緒形拳さんに相談して提案された言葉

力士の肖像, 塩澤実信

ベースボールマガジン社
2019-6-15 読了(図書館)

江戸時代から昭和のころまでのさまざまな「力士」を取り上げている。ここで取り上げられるのは、小説・エッセイ・錦絵・銅像など、なんらかの作品の題材になった力士とその作者。

この本自体が1995年に出版されているし、私からすると昔の力士がほとんどで(例外は、小錦と、辛うじて親方時代を知っている貴ノ花(貴乃花の父)くらい)ほとんどなじみがない。しかし、双葉山や柏戸など有名力士も多く、ぜひそういう力士の相撲の動画でも残っていたら、と思う。

面白いのは、江戸時代には、巨人や異様に身体の発達した怪童を大関や幕内欄外に「張出し」て、相撲を取らない力士として土俵入りさせ、見世物・客寄せにしていたということだ。ここで取り上げられている「大空」は身長 220 cmとも言われているらしい。

今も昔も、「横綱」になれるかどうかは、人が決めることなので、その時々のいろいろな状況によるというところが興味深い。雷電為右衛門など通算254勝10敗2分け14預かり5無勝負というとんでもない成績だが横綱にはなれなかったという。