文春新書
先代高砂親方・元大関朝潮の「親方論」(?)
2008年7月の発行。朝青龍が不祥事で2場所出場停止処分をうけた年の次の年。まだバリバリの現役横綱だったころ。その不祥事の記憶がまだ新しいころに書かれた。そのせいかどうか、一章は朝青龍の写真とその騒動の話からはじまる。当時、マスメディアなどでは朝青龍だけでなくその師匠の著者もさんざん叩かれたが、叩かれた側の事情・言い分もわからないではない。朝青龍は治療などのため巡業を休んでモンゴルに帰国していたが、地元では当然ながら有名人で、
「日本の外務省を通じてモンゴル政府からの要請があり、友好のためにやった」
「当初はイベントでTシャツを配るだけの予定だったが、周囲に乗せられ痛みを押してほんの短時間サッカーをやった」
ということのようだ。そういわれると、そこまで厳しい処分を受けることだろうか、という気がする。そもそも巡業をけがの治療で休んだのは正当だろう。いまはコロナ禍で巡業どころでないし、個人的には巡業は日本相撲協会としての収益事業で、それが力士の仕事と言われればそれまでだが、年6日(90日間)ある本場所が終わったとたんに、毎日長距離移動をともなう巡業にでなければならないとなると、休む間もなく気の毒に思っていた。
親方論というか弟子の指導に当たっての考え方は興味深い。相撲の親方だけでなく、後輩や部下などの指導・教育は、手取り足取りやればよいかと言えば、自分で考える力が養えないし、さりとて放任でよいかといえば、素質があっても伸びない可能性があり、正解はなく、その加減も難しい。この本でも、相手の素質や性格などによって指導法を変える、というようなことが書かれていた。
3章では、2007年の時津風部屋新弟子急死事件の話から始まり、「角界の流儀」が語られる。ここの話の一部については同意できない。ほかの箇所では、時代によって弟子の気質などが変わってきているので、昔ながらの部屋の雰囲気や稽古内容ではだめで変えていかなければならない、というような真っ当なことを書いているのに、この部分では、この事件で協会理事長の責任を問うような報道などに対して、協会や相撲部屋の組織の説明をするだけで、その組織構造の問題が問われているという自覚が無いようだ。
私は、相撲という伝統的な競技が好きだし、その伝統も大切だと思っているが、それと法人としての日本相撲協会やそれにぶら下がっている相撲部屋という組織の伝統は別問題だと考えている。貴闘力が自身の YouTube 番組で指摘している通り、その組織には非常に問題が多く、「年寄株」「お茶屋」「八百長」などの例を挙げるまでもなく、改善すべきと思う。相撲部屋にいったん入門したら力士の都合では部屋を変われないなんて、親方の都合でしかない。相撲部屋という制度も特に必要とは思わない。
そんな朝潮さんも定年で師匠としては引退された。人柄がよく出ている本だった。