2021-03-13 読了(図書館)
廣済堂新書
Ray Kurzweil などによって言われている技術的特異点の話。
SF映画などで描かれてきた知能を持ったコンピュータが実現したあかつきには「特異点」となり、それより未来は予測不能という予測を、著者自身の長年のコンピュータとのかかわりあいなどの話も織り交ぜ、紹介していく。
確かに、コンピュータの進歩は、ムーアの法則で知られるように、その性能を指数関数的に向上させてきた。また、「AI」「人工知能」という言葉を見ない日はないくらい、技術開発がどんどん進んでいるようだ。ただ素人目には、コンピュータが高性能になっても計算速度が速くなってきたということで、その本質は変化していないように思う。いまの多くの「AI」も、知る限りでは機械学習というべきもので、そこに独自の意識が出現するというものとは違うように感じる(知らないだけかもしれないが)。
余談だが、AIと聞いて思い出すのは、ひと昔まえ(ふた昔?)、ATOK (ジャストシステムのかな漢字変換ソフト)が、使用者の入力内容を学習し、変換候補を入れ替えて提示してくれる機能を「AI 変換」とか呼んでいた気がする。
そうはいっても、コンピュータに意識を出現させる、ということをまじめに研究している人たちは必ずいるだろうし、たとえ機械学習と呼ぶべき技術だとしても、その精度や応用範囲は日進月歩で進んでいるので、いつかは実現するのかもしれない。
本当にその日が来たら、多くの識者が指摘するように、なかなか人類にとってポジティブな未来は考えにくい気がする。
ローマクラブの「成長の限界」の話も取り上げられている。これまたかなり昔に、この話をきいたことがあったはずだが、その言葉自体忘れていて、懐かしく感じてしまった。
- ロトカ・ヴォルテラの方程式
最後の方で、著者は、この成長の限界を打破するために、上記の技術的特異点を目指した「ゴッド・ライク・マシン」に賭けるしかない、と書いている。最後には、政治的な選択もおおくをコンピュータに任せる世の中もあるのでは、と提案というか妄想されている。その点だけ見れば、権力者が特定の利益集団にのみ配慮したような政策をとるのでなく、ベターな、最大多数の最大幸福を満たすような政策をとる方向に行くかもしれない。