NHKブックス
2013-11-17 読了
内容は前半と後半の2つに大きく分かれる。
前半では、研究者、マスメディア、情報の受け手、それぞれの点での特性を検討し、リスク情報を出す側が、誰でもわかり易く標準化されたモノサシ(たとえばガンや交通事故での死亡率など5項目程度の確率のセット)とともに、伝えようとしているリスク情報の確率を伝えることを提案している。
後半ではたとえば一般市民の政府や各種機関・企業などに対する信頼がどのようなプロセスを通して形成・失墜・回復しうるかという、主として情報を受け取る側の心理・認知面のメカニズムを探ることで、情報を出す側・施策や事業を行う側がとるべき方向性を議論している。
その上で、新しいリスク情報は、目前に明らかに危機が迫っているというようには感じないので、ほぼ安全な場合でもその情報を見聞きすると、安心ではなく不安になる、ということで、「安全・安心」はありえない、という。
後半部が特に面白い。
2013-11-17
2013-02-07
虚像の砦, 真山仁
角川書店
2013-02-07 読了 (図書館)
タイトルの読みは「メディアのとりで」。
実際にあった話を織りまぜてリアリティをだす、この作家お得意の手法(?)。今回はテレビ局。
ミステリ的な読み方もできそうな感じ。最後に黒幕(?)。最後があっという間に収束した感がある。
この作者の小説は他のもそうだが、場面の時と場所が、節の初めに○月○日△時というように書かれている。これはわかりやすい場合もあるのだが、場面や時間が飛んだときなど、それをみて確認しなければならない場合、わかりづらい仕組みだ。テレビドラマ風演出か。
2013-02-07 読了 (図書館)
タイトルの読みは「メディアのとりで」。
実際にあった話を織りまぜてリアリティをだす、この作家お得意の手法(?)。今回はテレビ局。
ミステリ的な読み方もできそうな感じ。最後に黒幕(?)。最後があっという間に収束した感がある。
この作者の小説は他のもそうだが、場面の時と場所が、節の初めに○月○日△時というように書かれている。これはわかりやすい場合もあるのだが、場面や時間が飛んだときなど、それをみて確認しなければならない場合、わかりづらい仕組みだ。テレビドラマ風演出か。
2012-08-17
真相ライブドアvs.フジ, 日本経済新聞社(編)
日本経済新聞社
2012-08-17 読了 (図書館)
この本は、2005年の株式会社ライブドア(当時)と株式会社フジテレビジョンによる、株式会社ニッポン放送の株式争奪戦およびそれによる株式会社フジテレビジョンの経営権を狙った一連の出来事について書かれている。それが一応の結論をみた直後に出版されているようだ(2005年6月22日発行)。なので、もっと劇的な、その後の強制捜査および堀江氏らの逮捕、刑事・民事訴訟については触れられていない。
副題が「日本を揺るがした70日」とあり、その間の両者および関係者の動きなどは分かりやすくまとまっている。また株式会社ニッポン放送と株式会社フジテレビジョンの資本が逆転関係になった経緯についても触れられており、納得できた。
しかし、天下の日経新聞が書いた本にしては、様々な戦術や経済的概念などについての記述が物足りない。まるで一般紙を読んでいるようだ。しかも、株式分割で株価が上昇したことの説明は、重要な点が明らかに不足していると思われる。Wikipediaには
とあるし、橘玲「臆病者のための株入門」でも、当時の制度上の欠陥を主因に挙げ、株式分割で株価が上昇したメカニズムを分かりやすく解説していた。それに対してこの本では
と、制度上の問題点については触れられていない。しかもこの少し後の部分には
と書かれている。もちろん株式分割の事務処理に多少の手間はかかるだろうが、しかし上の引用部分にも書かれているとおり、株式分割は本来企業価値に関係ないし、小口にすることで売買が活発になり、証券取引所にとっても悪くない話のはずだ。邪推するに、取引が小口化されすぎると、取引所で捌かなくてはならない取引数が莫大になり、(貧弱な)取引システムでは追いつかなくなるので、あまり分割しないでください、というお願いベースの話だろうと思う。それを「危うさのつきまとった手法」と言ってしまうのは、本当に「経済」新聞かと驚く。
また、この本には関係ない部分ではあるが、その後の証券取引法違反容疑での捜査・逮捕・裁判などは、同様な証券取引法違反(粉飾決算)をやったカネボウ株式会社や日興コーディアルグループにくらべてはるかに重い社会的制裁を受けた。しかもライブドアは利益を水増ししたとされていて、そのために余分な納税も行なっているらしい。「伝統ある」日本企業はそうとうなことをやっても、会社が潰れるくらいにならないと立件されないし、上場廃止にもならなかったのに対し、ライブドアのような「ぽっと出の」会社は、強制捜査をやろうが、それで株価が下がろうが、上場廃止にしようが関係ない、のだろう。そのような「出る杭は打たれる」ような社会にしておきながら、一方で、日本には起業が少ない、とか言っているのは一体どういうつもりなのだろうか。ライブドアがどのような事業をしていたか詳しく知っていたわけではないし、それを擁護するつもりはないが、この事件をきっかけにしてもたらされた日本の新興市場の冷え込みや社会の閉塞感などが回復することはあるのだろうか。
この本が対象にしている期間では、この対決は日本を揺るがしたのではなく、既得権益に守られたテレビや新聞などマスメディアの関係者が揺さぶられたのだろう。それでもニッポン放送やフジテレビジョンは、上場しているためにこのようなターゲットになり得た。株式会社日本経済新聞社、株式会社読売新聞グループ本社、株式会社朝日新聞社、株式会社毎日新聞社はすべて非上場。おかげでこのようなターゲットになる心配はないし、上場に必要な情報公開はしなくていい。もちろんわざわざ上場して市場から資金を集めてやるほどの事業がないのだろうし、企業価値が上がらなくても良いのだろう。
ところでこの本を読んで思い出したことが一つ。この騒動の最中に堀江氏がよく言っていたセリフが
2012-08-17 読了 (図書館)
この本は、2005年の株式会社ライブドア(当時)と株式会社フジテレビジョンによる、株式会社ニッポン放送の株式争奪戦およびそれによる株式会社フジテレビジョンの経営権を狙った一連の出来事について書かれている。それが一応の結論をみた直後に出版されているようだ(2005年6月22日発行)。なので、もっと劇的な、その後の強制捜査および堀江氏らの逮捕、刑事・民事訴訟については触れられていない。
副題が「日本を揺るがした70日」とあり、その間の両者および関係者の動きなどは分かりやすくまとまっている。また株式会社ニッポン放送と株式会社フジテレビジョンの資本が逆転関係になった経緯についても触れられており、納得できた。
しかし、天下の日経新聞が書いた本にしては、様々な戦術や経済的概念などについての記述が物足りない。まるで一般紙を読んでいるようだ。しかも、株式分割で株価が上昇したことの説明は、重要な点が明らかに不足していると思われる。Wikipediaには
この現象の原因の一つには、分割権利落日(2003年12月26日)には1株単価が100分の1になるが、当時、新株は制度上の理由からおよそ2ヵ月後(2004年2月2日)にならないと受渡が行われなかったので、その間、流通株の時価総額が分割前の100分の1となり需給が逼迫したとされている。
とあるし、橘玲「臆病者のための株入門」でも、当時の制度上の欠陥を主因に挙げ、株式分割で株価が上昇したメカニズムを分かりやすく解説していた。それに対してこの本では
株式分割をやっても企業の価値自身に変化はないので、本来は分割で時価総額が大きく変わることはない。ところが実際には分割すると、新株が流通するまでの一時期、株式市場に出回る株券が相対的に少なくなり、受給が逼迫、わずかな買いで株価が上昇しやすくなることがある。(p. 67)
と、制度上の問題点については触れられていない。しかもこの少し後の部分には
ちなみに、大幅な株式分割に対しては、東京証券取引所などが上場企業に実行しないよう要請。今では事実上、実施できなくなった。大幅分割は違法行為ではないが、それだけ「危うさ」のつきまとった手法だったのだ。
と書かれている。もちろん株式分割の事務処理に多少の手間はかかるだろうが、しかし上の引用部分にも書かれているとおり、株式分割は本来企業価値に関係ないし、小口にすることで売買が活発になり、証券取引所にとっても悪くない話のはずだ。邪推するに、取引が小口化されすぎると、取引所で捌かなくてはならない取引数が莫大になり、(貧弱な)取引システムでは追いつかなくなるので、あまり分割しないでください、というお願いベースの話だろうと思う。それを「危うさのつきまとった手法」と言ってしまうのは、本当に「経済」新聞かと驚く。
また、この本には関係ない部分ではあるが、その後の証券取引法違反容疑での捜査・逮捕・裁判などは、同様な証券取引法違反(粉飾決算)をやったカネボウ株式会社や日興コーディアルグループにくらべてはるかに重い社会的制裁を受けた。しかもライブドアは利益を水増ししたとされていて、そのために余分な納税も行なっているらしい。「伝統ある」日本企業はそうとうなことをやっても、会社が潰れるくらいにならないと立件されないし、上場廃止にもならなかったのに対し、ライブドアのような「ぽっと出の」会社は、強制捜査をやろうが、それで株価が下がろうが、上場廃止にしようが関係ない、のだろう。そのような「出る杭は打たれる」ような社会にしておきながら、一方で、日本には起業が少ない、とか言っているのは一体どういうつもりなのだろうか。ライブドアがどのような事業をしていたか詳しく知っていたわけではないし、それを擁護するつもりはないが、この事件をきっかけにしてもたらされた日本の新興市場の冷え込みや社会の閉塞感などが回復することはあるのだろうか。
この本が対象にしている期間では、この対決は日本を揺るがしたのではなく、既得権益に守られたテレビや新聞などマスメディアの関係者が揺さぶられたのだろう。それでもニッポン放送やフジテレビジョンは、上場しているためにこのようなターゲットになり得た。株式会社日本経済新聞社、株式会社読売新聞グループ本社、株式会社朝日新聞社、株式会社毎日新聞社はすべて非上場。おかげでこのようなターゲットになる心配はないし、上場に必要な情報公開はしなくていい。もちろんわざわざ上場して市場から資金を集めてやるほどの事業がないのだろうし、企業価値が上がらなくても良いのだろう。
ところでこの本を読んで思い出したことが一つ。この騒動の最中に堀江氏がよく言っていたセリフが
想定の範囲内です。であった。
2012-06-09
電球販売の自粛よりテレビ放送の自粛のほうが効果が高い
こういう記事には延髄反射で反応してしまう:
これは、業界も白熱電球の生産からはシュリンク気味で、もっと利幅の大きいLED電球や電球型蛍光灯などを売りたいだろうから、むしろ業界が政府にはたらきかけた可能性もあるのではないか。(政府はなにかやっている、というようにアピールできるし、業界も、LEDなどの宣伝になり、ひょっとしたら売上も増えるかもしれない)
しかし、確かに60Wの消費電力の白熱電球を、数WのLED電球に替えるのも良いかも知れないが、それなら、しょうもない番組で公共の電波を独占しているテレビの、夏季昼間の放送停止を要請してはどうか。エアコンと違って、テレビを消しても健康に害がないばかりか、むしろ健康増進にも役立つかもしれない。液晶テレビが普及しているようだが、それでも数100Wの消費電力がある。
明らかに、これは電機業界や放送業界の利害と真っ向から対立するので、間違ってもこのような要請はできないだろうが。
本当に効果がある(意味のある)政策はほとんどとれないし、このようなほとんど意味のないことを実施するための役人・部署がある、というのが無駄に思える。
夏の節電対策、白熱電球の販売自粛を…政府方針http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120609-00000495-yom-soci
読売新聞 6月9日(土)14時47分配信
今夏の節電対策のため、政府は家電量販店やメーカーに対し、電力消費の多い白熱電球の販売・生産の自粛を求める方針を固めた。
(以下略)
これは、業界も白熱電球の生産からはシュリンク気味で、もっと利幅の大きいLED電球や電球型蛍光灯などを売りたいだろうから、むしろ業界が政府にはたらきかけた可能性もあるのではないか。(政府はなにかやっている、というようにアピールできるし、業界も、LEDなどの宣伝になり、ひょっとしたら売上も増えるかもしれない)
しかし、確かに60Wの消費電力の白熱電球を、数WのLED電球に替えるのも良いかも知れないが、それなら、しょうもない番組で公共の電波を独占しているテレビの、夏季昼間の放送停止を要請してはどうか。エアコンと違って、テレビを消しても健康に害がないばかりか、むしろ健康増進にも役立つかもしれない。液晶テレビが普及しているようだが、それでも数100Wの消費電力がある。
明らかに、これは電機業界や放送業界の利害と真っ向から対立するので、間違ってもこのような要請はできないだろうが。
本当に効果がある(意味のある)政策はほとんどとれないし、このようなほとんど意味のないことを実施するための役人・部署がある、というのが無駄に思える。
2011-06-23
ガラパゴス化マスメディア
国内メーカが作る携帯電話が、日本独自仕様で進化している様子を指して「ガラパゴス化ケータイ」「ガラケー」などと呼ばれている。
しかし、そのように呼んでいる日本の新聞・テレビ局などのマスメディアは、進化というかどうか不明だが(むしろ退化か)、内にこもって、規制・慣習・言語にも守られて独自の世界に安住している。ある意味で最もガラパゴス化している業界の一つではないか。当然、世界に打って出ることはないので、日本の世代構成に合わせた番組づくり(すなわち高年齢層向け)がどんどん進んでいく。タレントやキャスターも、高年齢層に馴染みのある人(みのもんた、島田紳助、ダウンタウン etc.)が何十年もずーっと出続ける一方で、若いタレント・芸人などはどんどん使い捨てられていく。まさに日本の縮図。
別に、見なければ良いので、個人的には問題はないが、多くの人が影響を受けて「世論」が作られるのでやっかいだ。結論はない。
しかし、そのように呼んでいる日本の新聞・テレビ局などのマスメディアは、進化というかどうか不明だが(むしろ退化か)、内にこもって、規制・慣習・言語にも守られて独自の世界に安住している。ある意味で最もガラパゴス化している業界の一つではないか。当然、世界に打って出ることはないので、日本の世代構成に合わせた番組づくり(すなわち高年齢層向け)がどんどん進んでいく。タレントやキャスターも、高年齢層に馴染みのある人(みのもんた、島田紳助、ダウンタウン etc.)が何十年もずーっと出続ける一方で、若いタレント・芸人などはどんどん使い捨てられていく。まさに日本の縮図。
別に、見なければ良いので、個人的には問題はないが、多くの人が影響を受けて「世論」が作られるのでやっかいだ。結論はない。
2011-02-20
世代間闘争、あるいは新聞の活字がどんどん大きくなることについて
新聞は競うようにして活字を大きくしている。これはもちろん、購読者数の大半を占める高齢者に対するサービスだ。
新聞購読者の年齢構成に関する直接のデータではないが、日本全体の人口の推移を見れば、日本の新聞を購読する可能性のある人数の推移が分かる。
総務省統計局「日本の統計2010」によると、年少人口 (14歳以下)、生産年齢人口 (15〜64歳)、老年人口 (65歳以上) の推移は以下のようになっている。
(単位: 千人)
このように、1985年から2005年の20年間で14歳以下の子供の割合が3分の2に減る一方で、65歳以上の割合が倍に増えている。このような年齢構成のドラスティックな変化に基づけば、新聞が対象とする読者の年齢層をどんどん引き上げるのは理にかなっている。このような読者の年齢構成の変化はなにも活字の大きさだけに影響しているわけではあるまい。当然ながら、扱う記事やその論調も、主たる読者である高齢者層に気に入ってもらえるようなものが多くなるバイアスがかかるはずだ。(例: 比較的低年齢層にはサッカーファンが増えてきているが、相変わらずスポーツ面の主役は日本の野球; 外国といえばアメリカ (アメリカのこととなると、小浜市がオバマ大統領を応援する、とか、そんな小ネタまで報道するのに、その他の海外の記事は非常に少なく、最近のエジプトなどの政変についても、Reuters, APなどを引用した記事が多い); など)
昨今、「若者の○○な気質」「若者の○○離れ」などという論調を耳にすることが多いが(この論調自体、主たる購読者である老齢者目線になっている)、それらの多くのものが、上のような年齢構成の変化を考えれば、説明がつくことが多い。
例えば「若者の自動車離れ」ということがまことしやかに語られている。確かに、自動車の販売数などを見れば、若い人で車に乗る人の割合が減っているのだろう。しかし、このことから短絡的に、「若者の自動車離れは若者の考え方・好みの変化の結果」などと原因を決め付けてはいけないと思う。
上記の統計は日本全国の集計結果であるので、地方によっては、これよりさらに急激に若年人口の減少・老齢人口の増加が進んでいるところがあるだろう。実際、多くの地方では、過疎化・高齢化が進んでいる。裏を返せば若い人がどんどん減っているのだ。ただし全国平均よりも早く若年人口が減る地方もあれば、それよりゆっくりなところもある。想像するに、そのように過疎化・高齢化が進んでいるのは、自動車の必要性が高い田舎で、逆に車の必要性が高くない都市部では、相対的に若年層の割合の減少は少ないと思われる。すなわち、「若者の自動車離れ」は、考え方・好みの変化が根本原因ではなく、おそらく、住む場所を含むライフスタイルそのものが変化してきており、そのために車を持たなくてもよいと考える人の割合が増えてきたことの結果として出てきていることなのではないかと思う。
さて以上は長い前フリ。ここで考えたいのは、新聞社や自動車販売会社の経営不振の問題ではなく、今の日本の、特に若年層にある、将来に対する閉塞感、政治に対する諦め、といったものをどうすれば打開できるか、もしくは、それに近づけることができるか、ということである。
でいきなり余談だが、一介のサラリーマンである私は、先日配布された給与所得の源泉徴収票を見て愕然とした。それは、年収のうち、税金と社会保険料で差し引かれた額があまりに大きいからだ。別に累進課税の率が高い高額所得者ではないので所得税額に驚いたわけではなく、所得税額の倍以上の額が社会保険料として徴収されていて、その額の大きさに愕然としたわけだ。特に年金に対する支払は、年々料率が増えていっているのに、今高齢者が受給している額よりも少ない金額しかもらえないことがほぼ確定しているので、できることなら全国民でごっちゃにするのでなく、全額を個人勘定で運用させてもらいたいところだ。
このように年金に代表される多くの問題で、世代間での利益の対立がある。しかしながら、国権の最高機関たる国会の議員は、圧倒的に「お年寄り」が多い。これは当然ながら、上記の年齢構成が反映された結果だが、それにも増して高齢者の割合が多い気がする。これはおそらく、選挙制度の影響だと思われる。すなわち、年齢構成はただでさえ高齢者人口が多いのに、国政選挙は、全国を複数の選挙区に分けて行われるので、どの選挙区でも高齢者の有権者が多く、有権者が自分の歳と近い年代の候補者をより好むと仮定すると、結果的に、国会議員は P(y) = y^2 (y は年齢) のような、年寄りほど増え方が増えるような分布をするのではないか。
老人対若者という対立軸でみると、これらの議員たちは、より多くの票を入れてもらわないと当選できないわけだから、新聞と同様、マジョリティである高齢者に支持されるような政策(高齢者健康保険制度を見直す、消費税率は上げない、年金受給世代の金額は減らさない)を支持するバイアスを持つ。これでは、世代間の格差は縮まるどころか、拡大する方向にしか進まない。
それでなくても、そもそも政治というものは、国・地方の将来のための仕事なのに、70歳を超えたような老人ばかりが議員になって、将来のことなど真剣に考えてくれるのかはなはだ疑問だ。
そのような弊害を少しでも減らしていくためには、
ついでに議員の世襲を減らすために、
もちろん、議員が若返っても、それだけでは問題が解決するわけではないし、「閉塞感」などというものが解消されるとも思わないが、今よりは何かが進みそうな気がする、ということを感じさせてくれるだけでもだいぶ変わるかもしれない。
とはいえ、選挙制度や税制を決めることができるのは彼ら国会議員なわけだから、候補者が選挙期間中だけ連呼する「抜本的な改革」は、年齢構成が「抜本的に変わる」はずの20〜30年後にならないと無理かもしれない。となると、その頃には政府の債務残高と国債の長期金利はいったいどうなっているだろうか。
個人でいろいろな選択肢を持っておくこと・持てるように努力することの重要性はますます高まりそうだ。
新聞購読者の年齢構成に関する直接のデータではないが、日本全体の人口の推移を見れば、日本の新聞を購読する可能性のある人数の推移が分かる。
総務省統計局「日本の統計2010」によると、年少人口 (14歳以下)、生産年齢人口 (15〜64歳)、老年人口 (65歳以上) の推移は以下のようになっている。
| 年 | 年少人口 | 生産年齢人口 | 老年人口 |
|---|---|---|---|
| 昭和60年 (1985) | 26,033 (21.5%) | 82,506 (68.2%) | 12,468 (10.3%) |
| 平成17年 (2005) | 17,521 (13.7%) | 84,092 (65.8%) | 25,672 (20.1%) |
このように、1985年から2005年の20年間で14歳以下の子供の割合が3分の2に減る一方で、65歳以上の割合が倍に増えている。このような年齢構成のドラスティックな変化に基づけば、新聞が対象とする読者の年齢層をどんどん引き上げるのは理にかなっている。このような読者の年齢構成の変化はなにも活字の大きさだけに影響しているわけではあるまい。当然ながら、扱う記事やその論調も、主たる読者である高齢者層に気に入ってもらえるようなものが多くなるバイアスがかかるはずだ。(例: 比較的低年齢層にはサッカーファンが増えてきているが、相変わらずスポーツ面の主役は日本の野球; 外国といえばアメリカ (アメリカのこととなると、小浜市がオバマ大統領を応援する、とか、そんな小ネタまで報道するのに、その他の海外の記事は非常に少なく、最近のエジプトなどの政変についても、Reuters, APなどを引用した記事が多い); など)
昨今、「若者の○○な気質」「若者の○○離れ」などという論調を耳にすることが多いが(この論調自体、主たる購読者である老齢者目線になっている)、それらの多くのものが、上のような年齢構成の変化を考えれば、説明がつくことが多い。
例えば「若者の自動車離れ」ということがまことしやかに語られている。確かに、自動車の販売数などを見れば、若い人で車に乗る人の割合が減っているのだろう。しかし、このことから短絡的に、「若者の自動車離れは若者の考え方・好みの変化の結果」などと原因を決め付けてはいけないと思う。
上記の統計は日本全国の集計結果であるので、地方によっては、これよりさらに急激に若年人口の減少・老齢人口の増加が進んでいるところがあるだろう。実際、多くの地方では、過疎化・高齢化が進んでいる。裏を返せば若い人がどんどん減っているのだ。ただし全国平均よりも早く若年人口が減る地方もあれば、それよりゆっくりなところもある。想像するに、そのように過疎化・高齢化が進んでいるのは、自動車の必要性が高い田舎で、逆に車の必要性が高くない都市部では、相対的に若年層の割合の減少は少ないと思われる。すなわち、「若者の自動車離れ」は、考え方・好みの変化が根本原因ではなく、おそらく、住む場所を含むライフスタイルそのものが変化してきており、そのために車を持たなくてもよいと考える人の割合が増えてきたことの結果として出てきていることなのではないかと思う。
さて以上は長い前フリ。ここで考えたいのは、新聞社や自動車販売会社の経営不振の問題ではなく、今の日本の、特に若年層にある、将来に対する閉塞感、政治に対する諦め、といったものをどうすれば打開できるか、もしくは、それに近づけることができるか、ということである。
でいきなり余談だが、一介のサラリーマンである私は、先日配布された給与所得の源泉徴収票を見て愕然とした。それは、年収のうち、税金と社会保険料で差し引かれた額があまりに大きいからだ。別に累進課税の率が高い高額所得者ではないので所得税額に驚いたわけではなく、所得税額の倍以上の額が社会保険料として徴収されていて、その額の大きさに愕然としたわけだ。特に年金に対する支払は、年々料率が増えていっているのに、今高齢者が受給している額よりも少ない金額しかもらえないことがほぼ確定しているので、できることなら全国民でごっちゃにするのでなく、全額を個人勘定で運用させてもらいたいところだ。
このように年金に代表される多くの問題で、世代間での利益の対立がある。しかしながら、国権の最高機関たる国会の議員は、圧倒的に「お年寄り」が多い。これは当然ながら、上記の年齢構成が反映された結果だが、それにも増して高齢者の割合が多い気がする。これはおそらく、選挙制度の影響だと思われる。すなわち、年齢構成はただでさえ高齢者人口が多いのに、国政選挙は、全国を複数の選挙区に分けて行われるので、どの選挙区でも高齢者の有権者が多く、有権者が自分の歳と近い年代の候補者をより好むと仮定すると、結果的に、国会議員は P(y) = y^2 (y は年齢) のような、年寄りほど増え方が増えるような分布をするのではないか。
老人対若者という対立軸でみると、これらの議員たちは、より多くの票を入れてもらわないと当選できないわけだから、新聞と同様、マジョリティである高齢者に支持されるような政策(高齢者健康保険制度を見直す、消費税率は上げない、年金受給世代の金額は減らさない)を支持するバイアスを持つ。これでは、世代間の格差は縮まるどころか、拡大する方向にしか進まない。
それでなくても、そもそも政治というものは、国・地方の将来のための仕事なのに、70歳を超えたような老人ばかりが議員になって、将来のことなど真剣に考えてくれるのかはなはだ疑問だ。
そのような弊害を少しでも減らしていくためには、
- 地域毎に選挙区を分けるのでなく、世代毎に選挙区を分ける
- 議員も特殊な公務員なのだから、60歳程度で定年を設けるべき
- とにかく若い候補者に投票する。若くないと、本気で将来のことを考えない
ついでに議員の世襲を減らすために、
- 政治資金団体を介した贈与・相続にもきちんと課税する
もちろん、議員が若返っても、それだけでは問題が解決するわけではないし、「閉塞感」などというものが解消されるとも思わないが、今よりは何かが進みそうな気がする、ということを感じさせてくれるだけでもだいぶ変わるかもしれない。
とはいえ、選挙制度や税制を決めることができるのは彼ら国会議員なわけだから、候補者が選挙期間中だけ連呼する「抜本的な改革」は、年齢構成が「抜本的に変わる」はずの20〜30年後にならないと無理かもしれない。となると、その頃には政府の債務残高と国債の長期金利はいったいどうなっているだろうか。
個人でいろいろな選択肢を持っておくこと・持てるように努力することの重要性はますます高まりそうだ。
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